| これが、今回のツアーを終えての私の感想である。生まれてから18歳までを石川県金沢市で過ごし、親の郷里である能登へは何度も訪れていた。しかし、能登の魅力の奥深さに心底気づかされたのは、今回のツアーが初めてのことであったと思う。
私が気づいていなかったように、おそらく、多くの人がまだ気づいていないだろう。けれど間もなく、人々は気づき始めるかもしれない。なぜなら、能登の民(たみ)が自ら情報を発信し始めているから。
日本列島の真ん中あたり、日本海に突き出た能登半島。
季節によってその表情は一変する。夏は蒸し暑く緑が濃い。雪の降る冬場は、曇りがちな空もあいまってモノトーンの景色となる。半島という特質から海と山が近く、景観も多様である。複雑な海岸線ゆえに景勝地も多い。
近年、地方にいくと必ず感じる“日本の風景の画一化”も、奥能登にはあまり当てはまらないようだ。幅の広い幹線道路沿いに林立するナショナル・チェーンの店舗群を、今回のツアーでみかけることはなかった。それは開発の遅れの結果なのかもしれないが、結果、今、奥能登には“懐かしい風景”が沢山残っている。
そして、食。能登牛やきのこ・山菜等の山の幸も魅力的であるが、やはり、日本海の荒波が育んだ海の幸は素晴らしい。適度に身のしまった鮮度の良い刺身や、味良し体に良しの海藻類、いしる(魚醤)や魚類の糠漬け等の独自の発酵食と、ご飯の友も酒の肴も事欠かない。
要するに、能登は豊かな土地柄なのである。そして、その豊かさの中で能登の地酒は育まれてきたのである。まずいわけがない。旨いに決まっている。
ただ、これまで能登の酒の旨さは、ほとんど語られることがなかった。なぜか。それはつまり、能登の民自身が語ろうとしなかったからだろう。もしかしたら(と言うよりも多分)、能登の民自身が気づいていなかったからかもしれない。
けれど、今、扉は開かれた。
インターネットの発達により、空間距離の制約が小さくなったこともある。しかし何より能登空港の完成が彼らを後押ししていることは間違いないだろう。考えみてほしい。こんなに魅力的な土地が、東京から僅か1時間の距離にあるのである。能登人自身が自ら語っているように「(県庁所在地の)金沢よりも東京の方が近い」のである。郷土をPRしようとする動機付けとして、これほど強力なものはない。
しかし、“動機がある(やる気がある)”ということと、実際に“実行する”ということは別物だ。そして、“実行する”ということと“継続する”こともまた別物である。多くの地方興しが不発や一過性のブームで終わってしまったのは、コンセプトそのものに誤りがあったケースも多いが、何より継続しなかったところにあると思う。
閉ざしていた扉を開くというのは、紛れもなく“革新”である。革新の成否は“継続”の有無に左右される。しかし、革新を継続することは難しい。なぜなら、革新に取り組むものは孤独だからである。
けれども、これは能登には当てはまらないかもしれない。能登には、強いネットワークがある。今回訪れた蔵元は、規模も様々、県外出荷メインもあれば『町内消費』を旨とするところもあり、清酒製造という共通点を除けば、他は実に多様性に富んでいる。しかし今、『能登の地酒』のアピールのために、強いタッグを組んでいる。また、清酒だけでなく能登そのものの情報発信に積極的で異業種企業と強いコネクションを持つ企業も多い。そして、能登沖地震というとても悲しい出来事が、結果として彼らの連帯感をより強固にしたようである。このネットワークがあれば、革新が継続される可能性は高いと思う。
ここまでを読み返してみて、出身県のことゆえに身びいきが過ぎたかもしれないとも思う。しかし、やはり、『彼らは本気だ』とも思う。
おそらく、全国各地に、能登のように魅力と可能性にあふれた地域はまだまだ隠れているのだろう。そんな土地の人々憧れと尊敬の念を抱かせ「我も続け」と思わせるモデルケースとして、能登が語られる日が来ることを、切に願っている。
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